私が手術を受けたのは、2歳と1ヶ月の頃。
もちろん、その日の記憶は何ひとつ残っていません。
でも、大人になってから地方の大学病院を受診したとき、
担当の先生にこんなふうに言われました。
「この手術を、その年齢で?
──当時、その技術は地方ではまだ無理だったはずですよ」
その一言に、なんだか背筋がスッと伸びたのを覚えています。
ああ、私はやっぱり
“生まれるべくして、東京に生まれたんだ”って。
聞くところによると、私の手術を担当したのは、
アメリカから帰国したばかりの医師だったそうです。
しかも、世界で五本の指に入るといわれるような、名医。
名前は忘れてしまったけれど、
その先生が、その時、その病院にいてくれた。
長時間にわたる繊細な心臓手術の末に、
私は命をつないでもらいました。
手術室から出てきた私は、
小さな体に管だらけだったそうです。
点滴、酸素マスク、心電図のコード…
母はその姿にショックを受けながらも、
生きて戻ってきたことに、ただただ涙が止まらなかったと話してくれました。
私は何も覚えていない。
でも、そのときの空気や、家族の想いは、
なぜか私の中に深く残っている気がするんです。
名医の技術。
医療スタッフの尽力。
そして、両親や身の回りの人たちの祈るような願い。
それがすべて重なって、今ここに私がいる。
私が生まれた場所も、出会えた医師も。
すべてが“命をつなぐために”用意されていた奇跡だったのかもしれない。
つづく
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