教師になって一年目の冬、私は山手線に乗れなくなった。
大学四年の春、教員採用試験を受けることを決めた私は、その年の試験に合格し、都会のど真ん中にある小学校に配属された。
大学を出たばかりの二十二歳。右も左も分からないまま、教師としての生活が始まった。
当時の私は、今とはずいぶん違う生活をしていた。
仕事が終わると、職場の先輩たちと街へ出て飲みに行く。にぎやかな場所で笑っていると、なんとなく一人じゃない気がした。
今思えば、あれは楽しかったというより、必死だったのだと思う。
いい先生でいよう、ちゃんとした社会人でいようと、自分なりに頑張っていた。
でも、学校の現実は甘くなかった。
初めて受け持ったクラスは、私の力ではどうにもならなかった。
後から知ったことだけれど、校長室では
「あんな奴、辞めさせろ」
そんな言葉も出ていたらしい。
一年目のとき、一緒に組んでいた先輩の先生に言われた言葉がある。
「自殺しないでね」
近くの学校で、初任の先生が命を絶ったばかりだった。
今思うと、あの頃の学校は、なんとも言えない重い空気だった。
校長には毎週のように呼び出され、校長室で泣いていた。
「あなたから子どもを好きな気持ちが伝わってこない」と言われたこともある。
言われたときは、ただ呆然としていた。
でも今思えば、確かに私は小さい子が特別好きなタイプでもない。見透かされていたのかもしれない。
なんとか教壇に立ち続けていたけれど、三学期のある朝、とうとう体が動かなくなった。
山手線のドアが開いても、足が前に出ない。
人がどんどん乗ってくるのが怖くて、電車に乗れなかった。
診断は、うつ病。
二週間の病休になった。
そのとき私は、当時遠距離恋愛をしていた彼のいる岡山へ行った。
少し休もうと思っただけだった。
でも、久しぶりに会った彼もまた、教師としてかなり大変な状況の中にいた。
受け持っていたのは、荒れた六年生のクラスだった。
「お互い、きついね」
そんな話をしながら過ごした時間を、今でもよく覚えている。
そのあと私は復職して、三年目。
不思議なことに、一年目に一緒に組んでいたあの先生と、もう一度同じ学年で組むことになった。
その先生は肩書きもあるベテランで、かなり厳しい人だった。
正直、口うるさいところもあったから、誰も組みたがらなかったらしい。
それでまた私が組むことになった。
でも今度は、一年目とは違った。
少しは周りを見る余裕も出て、フォローもできるようになっていた。
気がつけば、その先生も私を頼りにしてくれるようになっていた。
そして学校を去る送別会の日。
隣に座っていたその先生が、突然泣き出した。
「ひどいことを言ってしまって、ごめんなさい」
そう言われたとき、私は何と返したのか、実はよく覚えていない。
たぶん「先生のおかげです」とでも言ったんじゃないかと思う。
でも、そのとき私の中にあったわだかまりは、すっと軽くなった気がした。
あの一年は、本当に大変だった。
正直、人生ちょっと迷走もした。
でも、あのとき踏ん張った経験は、今の自信になっている。
あれだけ大変だったから、今はちょっとやそっと怒鳴られても、心はそんなに負けない。笑
そして今、私は地方で教師を続け、気がつけば十五年。
なぜか大変な子どもや親のいる、荒れた学校ばかりを渡り歩いている。

