43年付き合って、やっとわかってきた。
自分の身体のことを。
わかりあえるまで、何度もあがき続けて、何度も悔し涙を流した。
これは、その記録だ。
子どもの頃|すぐ疲れる子だった
小学校から中学校まで6年間、鼓笛隊をやっていた。
土日に練習に行くと、月曜日に体調不良で欠席することがよくあった。父によく怒られた。「学校に行けないなら、鼓笛隊をやめなさい」と。
でも当時の私は、それが当たり前だと思っていた。
みんなこんなもんなんかな、って。
毎年、主治医に生活管理表を書いてもらって学校に提出していた。金管系の楽器はだめ、遠泳やマラソンもだめ、という制限はあった。でもそれ以外は何でもやっていた。
見た目は元気そうだから、「サボってる」と意地悪を言われることもあった。
見えない病気を抱えて生きるということは、子どもの頃からそういうことだった。
大人になってから|出産のたびに、ゆっくり崩れていった
仕事を始めたら、確かにしんどかった。でも、働けなくなるほどではなかった。
体調が崩れていったのは、出産のたびだった。
1人目、2人目、3人目…と産むたびに、体調はゆっくりと崩れていった。当時は子育てで必死すぎて、よくわかっていなかった。今考えたら、そうだったなって思う。
3人目がお腹にいるとき、大きなお腹で5年生の担任をして、極寒の中で体育の授業もしていた。どうやって生きていたのか、記憶にないほど忙しかったんだと思う。
とどめは、3人目の出産後
3人目を産んだ後、心不全が悪化した。
薬が手放せなくなった。そして人工弁を入れる手術を受けた。
手術後、以前みたいな体力は戻っていない。それでも、手術前よりは動けるようになった。
今感じる症状のリアル|薬を抜いた人体実験の話
現在、利尿剤は欠かせない。
一度、自分で人体実験をしたことがある。
検査の結果がとてもよくて、「昼の薬を抜いても大丈夫だろう」と思って、勝手に抜いてみた。利尿剤には副作用でめまいが起きることもあって、正直なくせるならなくしたかった。
1ヶ月後、とんでもなく浮腫んだ。笑
動けなくなった。体重が4kg増えていた。即入院。自分の持っている薬だけでは、もとに戻れなくなっていた。
それ以来、薬は絶対に欠かさないと決めた。笑
私の「しんどいサイン」
しんどくなると、浮腫む。
でも足がパンパンになるわけじゃない。もともと足は細い方だから、多少浮腫んでいても医者にもわからないくらいだ。
その代わり、ひどい頭痛が起きる。頭が浮腫んでいるから頭痛が起きるらしい。
事情をよく知らない医者に「肩こりじゃないか」と言われたこともあった。でも主治医はちゃんとわかってくれる。理屈の上でも、頭痛が起きるのは正しいらしい。
頭痛が出たときにきちんと休まないと、自分ではもとに戻れなくなってくる。
あと、足が重くなる。言葉にならない倦怠感に襲われる。
これもここできちんと休まないで、無理して家事したり仕事したりすると、自分でもとに戻れなくなる。
43年かけて、やっとわかりあえた
ちょっと前までは、頑張れない自分が許せなくて泣いていた。
でも最近は、休まないと取り返しのつかないことになるとわかって、素直に体のサインに従えるようになった。
43年付き合って、やっと自分の身体とわかりあえた感じがする。
わかりあえるまで、何度もあがき続けて、何度も悔し涙を流した。
それでも今、ここにいる。
まとめ
- 子どもの頃から疲れやすかったが、それが「普通じゃない」とわかっていなかった
- 出産のたびに体調はゆっくり崩れていった
- 利尿剤は絶対に欠かせない(人体実験で証明済み。笑)
- しんどいサインは「頭痛」「倦怠感」「足の重さ」
- サインが出たら休む。これが43年かけて学んだこと
⚠️ この記事は私の体験をもとにしたものです。症状や治療方針は個人によって異なります。気になる症状がある方は必ず担当医にご相談ください。

